13歳 鹿児島の思い出
父の実家、鹿児島県の知覧。
中学1年のとき、家族で父の実家を訪問した。「お婆ちゃんが生きてるうちに会わせないと。」父の言うお婆ちゃんとは、父の祖母。会わせないといけないのは、私と母と私の弟。私が6歳のとき、母は私を連れて父と再婚した。父は母の5つ年下で初婚。弟は今の父の子である。当然反対された二人は、半ばかけおちで一緒になり、なんとこれが初対面になるのだと道中で告白された。
到着すると、大勢の親族や近所の人が集まっており、なにやら騒がしい。
私たちを見て満面の笑みで喋っているあたり、歓迎してくれているのか、とにかく言葉が何も理解できず、「なにやら騒がしい」のだ。「さすが南の島国。」と四国は徳島の生まれである母も当惑状態だった。
到着してすぐ父は、奥の部屋に入って寝てしまい、残された私たち3人は、寝ている父の周りで息を潜めてじっとしていた。暗い部屋の真ん中で、私も母もすっかり困っていた。とにもかくにも、私たちには父が頼みの綱なのだ。
しばらくすると、母が意を決したように「とにかく、起きてもらわなきゃ。」そう言って父を揺すり始めた。疲れている父は一向に起きる気配がない。「お願い。言葉が分からないの。起きてよ。」母が何度も揺すると、父が寝返りを打ちながら「オレも分からん。」と大声で吐き捨てた。なんじゃそら!
そこへ、父の大声を聞きつけたか、親戚のおばちゃん登場。眉毛の太いおばちゃんは、ニッコリ笑って、年寄りの言葉は昔の言葉だから分からないよ、私たちが通訳してあげるから、こっちへおいで・・・と言ってくれた。優しい言葉にほだされ、導かれるままに大勢が賑わう居間へ、母と3人で向かったのである。
しかし、通訳が入っても、方言を方言で通訳されるわけで、みんながどっと笑った後で通訳されて、分かればクスクス笑えるし、分からなければ妙な空気が流れるといった、どうにもじれったい、間の悪い、気持ち悪い結果となった。
翌日から散歩三昧を重ね、家の中に居つかない私は、母に「いいわね」とイヤミを言われ、それでも、父にお願いして街まで連れていってもらった。
街へ行って驚いた。「言葉が分かる!」と。
中1の私は、分からない言葉を話すのは あのお婆ちゃんだけだから、あのお婆ちゃんがおかしいんだ。変なの。と思っていた。
今も、桜島で買った絵本を眺めると、くしゃくしゃの顔をしたお婆ちゃんを思い出す。
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